コラム キャリアウーマンの鏡 元正天皇の愛した養老の美泉

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キャリアウーマンの鏡 元正天皇の愛した養老の美泉

キャリアウーマンの鏡 元正天皇の愛した養老の美泉

キャリアウーマンの鏡 元正天皇の愛した養老の美泉
滝の水がお酒に!?

養老町の伝説と言えば「孝子伝説」。
親孝行の息子が「滝の水がお酒だったらどんなにいいだろう」と願ったら、それが本当になり父を喜ばせることができた、というもの。
隣町の南濃町(現・海津市)で育った私でも孝子伝説は知っていましたが、実はこの話、元になった話があったのです。

この道を歩いたのかな

養老の地に憧れて

それは養老町の名付け親と言っていい元正天皇の逸話に由来しているのだとか。
女性天皇だった元正天皇は、今から1300年前、養老の地に「若返りの美泉がある」という話を聞きつけます。
彼女は36歳で即位し、それから2年後、養老の地に行幸(王が自ら移動し、各地の有力者と関係を作るための極めて政治的、軍事的な行い)されたのです。その生涯で行った行幸6回のうち、他は難波と吉野といった近隣であり、残りの2回(717年9月、718年2月)が遠く離れた養老の地であることに、この地に対しての、彼女の並々ならぬ思い入れを感じてしまいます。その想いとは一体なんだったのか。

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女性としての幸せよりも

女性としての幸せよりも

ところで、ここで少し元正天皇についてお話しておきましょう。
当時は、女性も天皇に即位できる時代でした。元正天皇の場合、父を早くに亡くし、母である元明天皇から36歳の時に皇位を引き継いでいます。
幼き頃から母の姿を見て育ち、国のリーダーとして英才教育を受けた才女と言っていいかもしれません。

そんな状況を経て元正天皇が誕生するのですが、ここで、もうひとつ。
史上初の未婚の女性天皇だったということ。
国のためとはいえ、生涯独身で生きていかねばならなかった彼女。決められた運命ではあるけれど、恋愛ぐらいしたかったのではないか。そんなことが頭をよぎってしまいます。

元正天皇行幸遺跡

美泉の力で 心晴れ晴れ

前述した通り、養老の地に赴いたのは政治的な側面が強かったようですが、治世の中心である奈良から離れて、心や身体を安め、ほんのひととき、一人の女性として、養老の美泉に安らぎと潤いを求めたのかもしれません。

琵琶湖をのぞみながら近江を抜け、美濃に入って、美泉を求めて「たき道」を進む彼女の心は、さぞかし清々しい心持ちだったことでしょう。
念願叶った元正天皇は「皮膚はなめらかになって傷が治癒する」と感想を漏らし、「飲むと白髪が黒髪になり、視力も向上し、万病に効くと評判だ」と言い、そして「この美泉は天からの贈り物にちがいない」とも記録に残しました。
元正天皇が立ったであろう同じ場所に立つと、雄大な山から湧き出る清らかな水によって、自分の心の中が洗い流された気がしました。きっと彼女もそうして心を清浄にし、養老改元という形で治世に対する自分の決意を表したのかもしれません。

さて、この美泉。養老の滝を指すのか、それともその手前の菊水泉を指すのか、論議は様々ありますが、いずれにしても、その水の素晴らしさは変わりありません。どちらが元正天皇が愛した美泉なのか、みなさんの目で確かめてみてくださいね。

譽田亜紀子(こんだあきこ)

譽田亜紀子(こんだあきこ)

(海津市南濃町奥条 出身)京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかけに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き、土偶の研究を重ねている。またテレビやラジオに出演するかたわら、トークイベントなどで、縄文時代や土偶の魅力を伝える活動を行う。著書に『はじめての土偶』(2014年、世界文化社)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と渓谷社)、『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)、『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)がある。現在、中日新聞水曜日夕刊に『土偶界へようこそ』を連載中。

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